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クリス・ウェア氏の「地球一賢い少年、ジミー・コリガン」を言葉で説明するのはとても難しい。「ポストモダン」だの「シュール」だの「ブラック・ユーモア」だの、こういった陳腐なレッテルをこの作品に貼ってしまうと、その斬新さと何とも言えない神秘が逆に見えにくくなってしまうだろう。はっきり言えるのは、ウェア氏は最も才能溢れる、最も注目されているアメリカのマンガ家の一人だということだ。もう一つ言えるのは、ウェア氏の作品においては、表面は嘘である、あるいは真実の一側面に過ぎない、ということだろう。例えば、題名。主人公のジミー・コリガンはどう考えても地球一賢い少年ではない。第一、ほとんどの場面ではジミーは少年ではなくどうしようもない中年のオジサンとして登場する。少年時代のジミーも登場するが、それはあくまでも記憶の中の、あるいは妄想の中の、どうしようもないいじめられっ子である。 これといったプロットはないが、作品の中心にはジミーの「あったことのない実の父」に対するコンプレックスがある。ジミーの地味で惨めな存在こそがこの作品の「宇宙」であるが、その宇宙は限りなく複雑で奥の深いもので、美しくさえ感じることもある。汚い絵で表現すれば読者に与える効果は全く違うものになるが、ウェア氏の恐ろしくきれいな船と驚くほどのデザイン的センスと絶妙なカラー使いで表現されると、そのどうしようもないオジサン/少年が気になって仕方がない。これは一気に読むような作品ではなく、どこからでも開けてじっくり眺める、オブジェのような、ひょっとすると「鏡」のような作品であるように思う。本自体も不思議なオーラを発する、本棚に置いてあるだけで気になるものだ。装丁が美しくて、ウェア氏の呆れるほどのこだわりを感じさせる。作者本人が製作したジミーの紙人形のペーパークラフト付録も色々と入っていて、見ていてあきないオブジェである。 |