<rss version="2.0" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"><channel><title>matt-thorn</title><description>matt-thorn</description><link>https://www.matt-thorn.com/blank</link><item><title>少女マンガって、どこから来たの？ Part 2</title><description><![CDATA[今回も前回に引き続き、少女雑誌に少女マンガらしいマンガが、いつ登場してくるのかを探っていくよ！前回は明治時代の４コマ「少女マンガ」ならぬ少女「ポンチ畫」を紹介したけど、大正時代になるとやがて「漫畫（まんぐわ）」という呼び方が定着するんだよね。だけど、この頃は、肝心な表現がまだ定まっていない。今の日本人から見ると、「これのどこがマンガなんだろう？」と小首をかしげる様なものばかり。たとえば、『少女の友』の大正11年10月号の池部釣のこの作品。どう見ても、挿絵付きの小説だと思うけど、はっきりと「漫畫」とあるよね。翌大正12年同じく『少女の友』の6月号に載った前川千帆の作品「仲良し寫眞」は、まだそれなりにコマ割りされていて私たちが考える「マンガ」に近いね。（内容も可愛いし）ところで、この頃のアメリカの漫画事情はどんな感じだったかというと。日本に先駆けて、現代のマンガの特徴がほぼ完全に定着していた！その特徴は・複数の絵による物語表現（👈当たり前）・フキダシによる台詞表現・効果線や擬音といった記号の多用・説明的な文章の不使用代表的なのは、『ガソリン・アリー』👇（1922年１月23日付新聞の作品<img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_1727db6256c547198d0e8b07ad5c8dea%7Emv2_d_1546_1275_s_2.jpeg"/>]]></description><link>https://www.matt-thorn.com/single-post/2018/07/05/%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%80%81%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%8B%E3%82%89%E6%9D%A5%E3%81%9F%E3%81%AE%EF%BC%9F-Part-2</link><guid>https://www.matt-thorn.com/single-post/2018/07/05/%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%80%81%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%8B%E3%82%89%E6%9D%A5%E3%81%9F%E3%81%AE%EF%BC%9F-Part-2</guid><pubDate>Thu, 05 Jul 2018 14:39:35 +0000</pubDate><content:encoded><![CDATA[<div><div>今回も前回に引き続き、少女雑誌に少女マンガらしいマンガが、いつ登場してくるのかを探っていくよ！</div><div>前回は明治時代の４コマ「少女マンガ」ならぬ少女「ポンチ畫」を紹介したけど、大正時代になるとやがて「漫畫（まんぐわ）」という呼び方が定着するんだよね。</div><div>だけど、この頃は、肝心な表現がまだ定まっていない。今の日本人から見ると、「これのどこがマンガなんだろう？」と小首をかしげる様なものばかり。</div><div>たとえば、『少女の友』の大正11年10月号の池部釣のこの作品。どう見ても、挿絵付きの小説だと思うけど、はっきりと「漫畫」とあるよね。</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_1727db6256c547198d0e8b07ad5c8dea~mv2_d_1546_1275_s_2.jpeg"/><div>翌大正12年同じく『少女の友』の6月号に載った前川千帆の作品「仲良し寫眞」は、まだそれなりにコマ割りされていて私たちが考える「マンガ」に近いね。（内容も可愛いし）</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_5b59c013f3d44496af222c4ea4eb9aac~mv2.jpeg"/><div>ところで、この頃のアメリカの漫画事情はどんな感じだったかというと。</div><div>日本に先駆けて、現代のマンガの特徴がほぼ完全に定着していた！</div><div>その特徴は</div><div>・複数の絵による物語表現（👈当たり前）</div><div>・フキダシによる台詞表現</div><div>・効果線や擬音といった記号の多用</div><div>・説明的な文章の不使用</div><div>代表的なのは、『<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/Gasoline_Alley">ガソリン・アリー</a>』👇</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_5516d3837cc94cf49d51022ab1c68178~mv2.png"/><div>（1922年１月23日付新聞の作品）</div><div>もしかして、みんなは、こういった現代風のマンガって日本人が最初に作ったと思っていたんじゃない？手塚治虫とか？</div><div>でも、違うんだよね～。</div><div>実は19世紀末のアメリカの新聞に、現代のマンガの特徴を備えた作品が初めて登場して、20世紀初期に広まっていったの。（19世紀末は日本では明治時代）</div><div>その表現を10代だった<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%BE%A4%E6%A5%BD%E5%A4%A9">北澤楽天</a>が、横浜に滞在していたオーストリア人の<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/Frank_A._Nankivell">フランク・ナンキベル</a>から教わって日本に導入したんです！前回もちょこっと触れた、昭和３年に連載が始まった『とんだはね子嬢』が楽天の作品の一つ。</div><div>さて、ところで日本初のヒットマンガといえば、何かご存知？</div><div>それは、大正12年から『アサヒグラフ』や『朝日新聞』の朝刊に連載された、東風人（<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%B3%B6%E5%8B%9D%E4%B8%80">樺島勝一</a>）と織田小星（<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E6%81%92">織田信恒</a>）による、『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%86%92%E9%99%BA">正チャンの冒険</a>』。</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_2e91310926374b128f8e7da82e6b9290~mv2.jpeg"/><div>（「お伽 正チャンの冒険」壱の巻／大正13年7月6日発行）</div><div>どれぐらい人気だったかというと、この正チャンが被っていたニット帽にちなんで、いまだにニット帽のことを「正チャン帽」と呼ぶくらい！といっても、若い人は知らないかも？と思ってAmazonで「正ちゃん帽」を検索してみましたYO。ありましたYO! </div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_2b1503234fdc46b69f803b1b1271615a~mv2.png"/><div>だけど、この辺りの作品は、少女雑誌に載ったわけでもないし、主人公は少年。</div><div>私たちが探しているのは、少女雑誌に載った「日本初の少女マンガらしい連載少女マンガ」です。</div><div>「そんなもの誰が定義を決めんのよ」と言われそうですが、それはもちろん私です😁</div><div> そして私の定義だと、その「初」は『少女画報』の昭和5年１月号に初めて登場した「ポクちゃん」シリーズではないかと思うんです。</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_f8eb45135c504e2a8e02aa832f12787d~mv2.jpg"/><div>フキダシを使っていなくて、顔のアップなどのメリハリもないけど、でも大正時代の「挿絵をいっぱい使った小説のような漫畫」ではなくなっているし、特定のキャラクターを毎回使っているし、説明的なナレーションを必要最低限に抑えてる。</div><div>そう、戦前の少女マンガと言えば、この方。</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_a5286cb4a10143579dcbff4fbcf3a69c~mv2.jpg"/><div><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E3%81%8B%E3%81%A4%E3%81%A2">松本かつぢ</a>。（松本勝治とも松本カツヂとも表記される。）</div><div>昭和３年から『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%A5%B3%E7%94%BB%E5%A0%B1">少女画報</a>』で、昭和８年から『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%A5%B3%E5%80%B6%E6%A5%BD%E9%83%A8">少女倶楽部</a>』で、昭和10年から『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%81%AE%E5%8F%8B">少女の友</a>』で、びっくりするほどいろんな絵柄で、抒情画、カット、挿絵、そしてマンガを描いていた。上の、極端にアール・デコ風になっているポクちゃんを、下の絵と比べてみて。同じ人が描いたと思えないでしょ！？</div><div>こんな風に、作品の雰囲気や目的に合わせて絵柄を変えられる絵師は、当時でも現在でもそういないよ。</div><div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_b88d8c6c23f94b97970bfcf95a4436bf~mv2.jpg"/><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_6e2ffd7734734d87abd3fec21b5c49f3~mv2.jpg"/><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_b3d2f8b9aa3645ffa6311ae05a05b592~mv2_d_2669_1831_s_2.jpg"/><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_16e590fd2c2a4865a484df34402d1f31~mv2.jpg"/></div><div>「ポクちゃんシリーズ」の次の松本かつぢ作品は、昭和７年から12年まで連載された「ピチ子とチャー公シリーズ」（題名が２回ほど変わったのである）</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_1e0003faa2c6493cb0cd54422058d5e4~mv2_d_1616_1275_s_2.jpeg"/><div>こちらは立派な続きものになってて、特に「世界漫遊」編になるとプロットが複雑になってくるし、表現も大胆になっていく。</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_3b202389528448cdad92ec7b635d8a7a~mv2.jpg"/><div>しかし！かつぢ先生の戦前の最高傑作と言えば、『少女の友』昭和９年４月号の特大オールカラー付録として描かれた「長篇漫画物語り」（といっても12ページの読み切りですが💦）『？（なぞ）のクロバー』でせう！</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_762a0c8822084608b0c3a0c7dce9bc11~mv2.jpg"/><div>話は『紅はこべ』と『ロビン・フード』を足して２で割った感じですが、主人公の優しい羊飼いの女の子は夜になると正義のヒーローに変身する！漫画表現がさらに進化して、俯瞰図やムードを伝えるための文字のないコマなどが登場する。</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_77a57af7d1c447d381499179c1162473~mv2_d_1274_1720_s_2.jpg"/><div>『？（なぞ）のクロバー』は最高傑作だと思うけど、かつぢ先生の一番有名な戦前の漫画作品ではなかった。一番の人気作品は、『少女の友』昭和13年１月号で連載が始まった、あえてシンプルな日常を描く、ほのぼのギャクマンガ、『くるくるクルミちゃん』でした。</div><div>クルミちゃんは、最初は小学校３年生ぐらい（？）に見えたけど、だんだんと頭身が縮んで、幼くてよりかわいい感じになっていく。下のスキャンは1987年（昭和62年）に出版された『くるくるクルミちゃん』第１集に載ったもので、文字表記は現代仮名遣いに直されていて、上のものより読みやすくなってるよ。</div><div>まずこっちは初登場👇</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_9e384d8beb25491187b73d79331ad6a7~mv2.jpg"/><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_44036d9c98834c2d98ce48a99766f325~mv2.jpg"/><div>そしてこっちは昭和15年５月号のもの👇</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_798d00f04ac74241a9ca5dbd2a48e5de~mv2.jpg"/><div>どう？かわいいでしょ？</div><div>ここまで、トントンと大正～昭和初期の少女マンガが誕生する様を見てきたんだけど、昭和15年12月に「情報局」が発足します。情報局は「出版法」、「新聞法」、「国家総動員法」に基づいて「言論統制」、つまり検閲をやり始めて、昭和16年末～17年始ごろまでに、事実上すべての子供向けのマンガが消えちゃうんです。「国が戦争をしているのに子供がくだらないマンガなんかを読んでいる場合ではない！」というのは建前の理由で、実は紙が不足しているのに雑誌が、特に子供雑誌が売れ過ぎていて、紙が不足していることをあまり知られたくない政府にとってはピンチだった。ようするに、出版社に面白くない、売れない雑誌を作れ、とプレッシャーをかけたわけです。子供の雑誌を面白くなくするために、手っ取り早いのは、マンガを無くすことだった。</div><div>体面を保つために、政府は終戦まで、ページ数の少ない、粗い質の紙を使ったいろんな雑誌を作らせ続けたけど、それを買う余裕のある人は限られてるし、中身は暗くて誰も読みたくない。</div><div>戦時中最後の『少女倶楽部』。10数年前に、もう大阪府立中央図書館に吸収されて無くなってしまった国際児童文学館で実物を見たとき、私は切なすぎてぽろぽろ涙を流してしまった。</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_9108c194c8214723add3b5d75e967784~mv2.jpg"/><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_ba0be15ba28341ce89232cd6b7f9a0ec~mv2_d_1714_1200_s_2.jpg"/><div>かつぢ先生が、せっかく生み出した「少女漫画」は、田河水泡などの作家が作り出した少年漫画と一緒に、一旦殺されてしまいました。</div><div>そんな「漫画」が戦後に「マンガ」として復活するまで、道のりは長かった…</div><div>今回のブログで松本かつぢに興味に持ってくれた方、ぜひ <a href="http://katsudi.com/">http://katsudi.com/</a>をチェックしたり<a href="https://twitter.com/katsudiworld">公式ツイッターアカウント</a>や<a href="https://www.facebook.com/katsudi/">FACEBOOK</a>をフォローしたりすると良いよ！そしてさらにかつぢについて深く知りたい人はぜひ私より10倍詳しい<a href="https://twitter.com/lacopen">@LACOPEN</a>こと平松和久先生をフォローして下さい！（今回のブログを書くに至って平松先生に色々質問をさせていただきました！）</div></div>]]></content:encoded></item><item><title>少女マンガって、どこから来たの？Part 1</title><description><![CDATA[「どうして日本のマンガは少年と少女に分かれてるの？」この四半世紀、この質問に何回遭遇したことか。もちろん、この質問をして来るのは外国人。日本人からは、逆にこんな質問をされる。「アメリカの少女マンガってどんな感じ？」まず、その答えから行こう。アメリカには少女マンガなんてありません。（エーーー！？って思った？）少年と少女で分けてないけど、そもそも最近まで女の子向けのマンガは非常に少なかった。日本人にとっては、マンガは少年と少女に分かれているのが当たり前。疑問に思ったことのある人は少ないと思う。実は、日本のマンガが（というより、日本のマンガ雑誌が）少年と少女に分かれているのにはワケがあって、そのワケがとっても面白い。あなたの知っているマンガ雑誌は、児童雑誌から進化したものです。そしてそんな児童雑誌が初めて登場したのは、明治時代。明治19年（西暦1886年）に創刊された『ちゑのあけぼの』がその始まりです。今では「少年＝男子」という認識が一般的かと思うけど、元々「少年＝こども」だったんだよね。1888年に『少年園』という児童雑誌が創刊されたんだけど、これは「男子の園」ではなく「こどもの園」だった<img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_17947d39eaf944a7bb42a458e5b23ba4%7Emv2.jpg/v1/fill/w_462%2Ch_675/fba035_17947d39eaf944a7bb42a458e5b23ba4%7Emv2.jpg"/>]]></description><link>https://www.matt-thorn.com/single-post/2018/06/19/%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%80%81%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%8B%E3%82%89%E6%9D%A5%E3%81%9F%E3%81%AE%EF%BC%9FPart-1</link><guid>https://www.matt-thorn.com/single-post/2018/06/19/%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%80%81%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%8B%E3%82%89%E6%9D%A5%E3%81%9F%E3%81%AE%EF%BC%9FPart-1</guid><pubDate>Tue, 19 Jun 2018 14:50:31 +0000</pubDate><content:encoded><![CDATA[<div><div>「どうして日本のマンガは少年と少女に分かれてるの？」</div><div>この四半世紀、この質問に何回遭遇したことか。もちろん、この質問をして来るのは外国人。</div><div>日本人からは、逆にこんな質問をされる。</div><div>「アメリカの少女マンガってどんな感じ？」</div><div>まず、その答えから行こう。</div><div>アメリカには少女マンガなんてありません。（エーーー！？って思った？）少年と少女で分けてないけど、そもそも最近まで女の子向けのマンガは非常に少なかった。</div><div>日本人にとっては、マンガは少年と少女に分かれているのが当たり前。疑問に思ったことのある人は少ないと思う。</div><div>実は、日本のマンガが（というより、日本のマンガ雑誌が）少年と少女に分かれているのにはワケがあって、そのワケがとっても面白い。</div><div>あなたの知っているマンガ雑誌は、児童雑誌から進化したものです。</div><div>そしてそんな児童雑誌が初めて登場したのは、明治時代。明治19年（西暦1886年）に創刊された『<a href="https://www.library.metro.tokyo.jp/collection/features/digital_showcase/005/02/index.html">ちゑのあけぼの</a>』がその始まりです。</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_17947d39eaf944a7bb42a458e5b23ba4~mv2.jpg"/><div>今では「少年＝男子」という認識が一般的かと思うけど、元々「少年＝こども」だったんだよね。1888年に『<a href="https://www.library.metro.tokyo.jp/collection/features/digital_showcase/005/03/">少年園</a>』という児童雑誌が創刊されたんだけど、これは「男子の園」ではなく「こどもの園」だった。これに続いて創刊された『日本之少年』（1889年）も、『<a href="https://www.library.metro.tokyo.jp/collection/features/digital_showcase/005/05/index.html">少年世界</a>』（1895年）、これらも「児童雑誌」だったワケです。</div><div>しかし、実際の雑誌を見るとやっぱり男子が喜びそうな内容が、女子が喜びそうな内容より断然多い。なぜかというと、実際に19世紀の「児童雑誌」を読んでいたのは男子が圧倒的に多かった。江戸時代の寺子屋は、地方によって生徒の男女比率が全然違ったけど、全国の平均はだいたい<a href="http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/ja/list/HU_journals/AA11281847/15/1/item/34410">２：１だったと言われる</a>。ということは、19世紀末には字が読めない女子がまだまだいっぱいいた！だから児童雑誌が男の子に偏るのも無理がない。明治時代になって、男子教育が着々と制度化されていくのに対して、女子教育は、なかなか進まなかった。</div><div>「女学校」たるものが登場したのは1872年だったけど、それはあくまで個人や民間団体が勝手に作ったものだったんだね。女子の義務教育がようやく設けられたのは、1899年！そこから、本を読める女子、本を読みたい女子が<a href="http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpad196201/hpad196201_2_011.html#fb1.6">急激に増えていく！</a>（当然！）</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_5ce1444c321f4b68860f2a8ed4d6db1f~mv2.jpg"/><div>そんな女の子たちが、それまでの「少年誌」で満足するはずがないよね。そして20世紀の幕開けと（ほぼ）共に、「少女誌」というものが生まれた。1902年の『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%A5%B3%E7%95%8C">少女界</a>』。</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_a133459a211d49308fa0332001c57918~mv2.jpg"/><div>どうやら、それまでは、現在使われている様な女の子＝「少女」という言葉の概念がなかったらしいよ。「少女」は「女の子の少年」を指すための単語として当てられたらしい。だから「少男」とう言葉は使わない。（知っている方もいると思うけど、英語のmanは元々「ひと」という意味で、womanは「ひとの妻」という意味なんだよね。古今東西、どんなだけ女性が軽視されて来たか、こういう言葉の語源を知って実感できる。）※最下部注あり</div><div>ここから、20世紀初期に、女の子向けの雑誌が続々と創刊される。『少女知識画報』（1905年）、『<a href="https://www.library.metro.tokyo.jp/collection/features/digital_showcase/005/06/index.html">少女世界</a>』（1906年）、『<a href="https://www.library.metro.tokyo.jp/collection/features/digital_showcase/005/07/index.html">少女の友</a>』（1909年）、『姉妹』（1909年）、『女学生』（1910年）、『女学生画報』（1911年）、『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%A5%B3%E7%94%BB%E5%A0%B1">少女画報</a>』（1912年）<a href="https://www.kikuyo-lib.jp/?page_id=119">等々</a>…</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_4419c03de97b46fbb8d5b0e21aa87ca8~mv2.jpg"/><div>断っておくけど、明治時代の児童雑誌にはマンガと言えるほどのマンガがほとんど載っていなくて、小説、挿絵、記事、エッセイ、写真が中心だったんだよ。私のコレクション（かなりのコレクターを自負している！）にある最も古い「少女マンガ」を紹介しよう。これです。明治43年（1910年）11月号の『少女』（女子文壇社）に載ったものです。</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_0405b248599245fe8f210dc36435aa45~mv2.jpg"/><div>どうですか？ローマ数字の「Ⅳ」が間違ってることに気づいた？さすが明治！この頃は、「漫画」という言葉がまだ定着していない時代で、「ポンチ画」と書かれているのね。（間違っても左から読まないでね！きゃ(≧∀≦)）「ポンチ画」はイギリスの有名な風刺雑誌<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%81_(%E9%9B%91%E8%AA%8C)">Punch</a>にちなんだ言い方で、明治日本ではその言い方がそれなりに流行った模様。しかも作品のタイトルが外来語の「もでる」！なんてハイカラなんでせう✨上に「編輯局選」、下に「大阪 西木冨士子」とあるけど、これはおそらく読者のアイディアを雑誌の絵師が描いたんじゃないかな。</div><div>そう、まだまだ「まんが」の黎明期だったけど、それでも「少女マンガ」「少年マンガ」という分け方は、ここから始まる。戦前の女の子と男の子は、12歳からハタチまで、別の学校に通って、別の世界に住んで、別の文化を生きていた。家族以外の異性と言葉を交わすことすら、ほとんどない。</div><div>少女マンガと少年マンガが別の道を歩むことは、登場する前から決まっていたこと。</div><div>上の「美いちゃん」と名の無いお友達は、おそらくこの四コマに出たっきり二度と登場しなかったんだろうけど、昭和３年に連載マンガの主人公として、おそらく日本初の少女「キャラクター」として登場する。それは、西洋風のマンガを日本に導入した<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%BE%A4%E6%A5%BD%E5%A4%A9">北澤楽天</a>が描いた『とんだはね子嬢』。</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_427065183fd54589b0142940714d95db~mv2.jpg"/><div>しかし、この作品が連載されたのは少女誌ではなく、大人向けの『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E4%BA%8B%E6%96%B0%E5%A0%B1">時事新報</a>』の付録「時事漫画」だった。</div><div>少女雑誌に少女マンガらしいマンガが登場するのは…</div><div>次回のお楽しみに！✨</div><div>※注　易や八卦の世界では少女、小男といった言葉を、おそらくかなり古い時代から使うが、いわゆる「女の子」「男の子」を指しては使われていない。</div><div>©️2018 Rachel Matt Thorn</div></div>]]></content:encoded></item><item><title>少女マンガの繁栄と衰退と…復活…？Part 3</title><description><![CDATA[　さて、前回や前々回、私が少女マンガにハマるきっかけや読者の調査の話をしたけど、実は大学院生をやりながら、仕事として日本のマンガの英訳もやっていたんだよね。神戸で調査している間にも「電子メール」という、最先端テクノロジー（笑）を使って翻訳原稿をアメリカに送ってた。ばぶりーだったのよ。ナウいギャルだったのよ。 　翻訳の仕事をやるようになったのは、イリノイ大学の大学院の２年目、まだ修士課程なのにJapanese Women in Literatureという授業を教える羽目になって（！）、その授業を受けているハーフの男の子にViz Comics（現在のViz Media LLC）という、日本マンガの英訳を出している出版社の存在を教えてもらった。ダメ元で私が授業用に翻訳した萩尾望都先生の「ポーの一族」シリーズの短編（「はるかな国の花や小鳥」）を送ってみたら、なんとも簡単に雇ってもらえた！　Vizでの仕事の話をする前にちょっとした余談。そのハーフの学生に誘われて、イリノイ大学のAnime<img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_a84dfca7920241899f59265daa27cf63%7Emv2.jpg/v1/fill/w_480%2Ch_351/fba035_a84dfca7920241899f59265daa27cf63%7Emv2.jpg"/>]]></description><link>https://www.matt-thorn.com/single-post/2018/06/11/%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%81%AE%E7%B9%81%E6%A0%84%E3%81%A8%E8%A1%B0%E9%80%80%E3%81%A8%E2%80%A6%E5%BE%A9%E6%B4%BB%E2%80%A6%EF%BC%9FPart-3</link><guid>https://www.matt-thorn.com/single-post/2018/06/11/%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%81%AE%E7%B9%81%E6%A0%84%E3%81%A8%E8%A1%B0%E9%80%80%E3%81%A8%E2%80%A6%E5%BE%A9%E6%B4%BB%E2%80%A6%EF%BC%9FPart-3</guid><pubDate>Mon, 11 Jun 2018 14:44:27 +0000</pubDate><content:encoded><![CDATA[<div><div>　さて、前回や前々回、私が少女マンガにハマるきっかけや読者の調査の話をしたけど、実は大学院生をやりながら、仕事として日本のマンガの英訳もやっていたんだよね。神戸で調査している間にも「電子メール」という、<a href="https://www.youtube.com/watch?v=2Ybg7zFaq7g">最先端テクノロジー</a>（笑）を使って翻訳原稿をアメリカに送ってた。ばぶりーだったのよ。ナウいギャルだったのよ。</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_a84dfca7920241899f59265daa27cf63~mv2.jpg"/><div>　翻訳の仕事をやるようになったのは、イリノイ大学の大学院の２年目、まだ修士課程なのにJapanese Women in Literatureという授業を教える羽目になって（！）、その授業を受けているハーフの男の子にViz Comics（現在の<a href="https://www.viz.com/">Viz Media LLC</a>）という、日本マンガの英訳を出している出版社の存在を教えてもらった。ダメ元で私が授業用に翻訳した萩尾望都先生の「ポーの一族」シリーズの短編（「はるかな国の花や小鳥」）を送ってみたら、なんとも簡単に雇ってもらえた！</div><div>　Vizでの仕事の話をする前にちょっとした余談。そのハーフの学生に誘われて、イリノイ大学のAnime Clubに一度だけお邪魔したことがある。今では日本のアニメ好きのためのサークルがない大学なんて、アメリカにないんじゃないかと思うぐらい普及しているけど、当時はめちゃくちゃマイナーだったんだよね。で、その日は日本のアニメの上映会でした。VHSテープで、とにかくコピーのコピーのコピー（言うまでもないが、違法コピー）だから、画質も音質も、ほんとひどかった。字幕がない上、どうやらそのサークルには日本語がちゃんと分かる人は一人もいないみたいだった。なのに、みんな真剣に観てる。笑える場面になると私一人で笑っちゃうから、「ん？これは、通訳した方がいい？」と脳内葛藤して、中途半端に通訳を始めましたよ。彼らの反応想像つきます？みんな「じ〜ん」と感動して聞いてくれてましたよ、私の同時通訳。彼らにとっては、私の通訳がなんとも贅沢なサービスだったらしい！！。どう見ても私を崇めるような目で見てたよ！ところが、このサークルのメンバー、社交性に欠けててね、私に何と話しかけて良いのか分からなかったみたいで、ほとんど会話せずに私は上映会を後にしたのでした。</div><div>　その時、私は思った。「ヲタクって、世界のどこに行っても不器用なものなのね」と。</div><div>　話を戻そう。</div><div>　時は1989年。日本のマンガはアジアではよく売れるけど、欧米ではまったく知られてない。皆無。ナッシング。</div><div>　「Manga？あ、知ってる！イタリア語で『召し上がれ』という意味でしょ？」</div><div>　「それを言うならmangiaでしょうが」</div><div>　（👆実際にあった会話。）</div><div>　MANGA英訳黎明期のこの頃は、とにかく興味を持ってもらうために、どストレートにアメリカでウケそうなsamuraiもの（『子連れ狼』）やninjaもの（『カムイ外伝』）を英訳してみたり、アメコミ専門店で売ってもらうためにホッチキスで止めた冊子形式で出してみたり、一番必死だった頃なんて白黒のマンガに色を塗ってみたりするような、そんな切ない涙なしでは語れない時代だったのです。そしてそんな時代に、Vizは頑張っていたのである。</div><div>　Vizはカリフォルニア大学バークレー校を中退した二人の日本人が立ち上げた、小学館の事実上の子会社だった。私が雇われたのは、ちょうど会社がリストラを敢行して、正社員は３人しかいなかったし、私を含めて他の人はみんなフリーランス。1990年から1999年まで、私はVizで<a href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/1421550644/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=1421550644&amp;linkCode=as2&amp;tag=mattthorncom-22&amp;linkId=9e2755527b3fa0360c70672aeee085a2">『風の谷のナウシカ』</a>、<a href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/1569319626/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=1569319626&amp;linkCode=as2&amp;tag=mattthorncom-22&amp;linkId=dab3b41bf75f5a1df95980bd042c9f45">『らんま１／２』</a>、<a href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/1569310033/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=1569310033&amp;linkCode=as2&amp;tag=mattthorncom-22&amp;linkId=03a52846292ff2d33fb26a32bc9e948d">『銃夢』</a>、<a href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/0929279840/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=0929279840&amp;linkCode=as2&amp;tag=mattthorncom-22&amp;linkId=e8e78e1d78eb7f6c32efbae9042aea80">『スプリガン』</a>など数々の英訳をこなしました。（懐かしい作品ばかっりでしょ？）。その頃の英訳の仕事で一番誇りに思っているのは、「日本少女マンガ」の英訳出版を世界で初めて（大げさと言わないで）私が手がけたこと！その頃のアメリカでは、「マンガはイケてない男の子が読むもの」という偏見が強くて、出版社も女の子向けのマンガが売れるとは思ってなかったんだよね。でも、少女漫画をアメリカに持って行きたかった私は逆風にめげず、Vizにしつこく、それはしつこく「少女マンガやろうよ少女マンガやろう」と言い続けた（笑）。いや、ほんと執拗に食い下がったよ。そのおかげで、<a href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/1569312559/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=1569312559&amp;linkCode=as2&amp;tag=mattthorncom-22&amp;linkId=d1b2b942513baaad12e1422f78c52005">西炯子先生の短編色々</a>、萩尾望都先生の<a href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/1569310556/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=1569310556&amp;linkCode=as2&amp;tag=mattthorncom-22&amp;linkId=d3f56b9d9487549469a0291348095df5">『１１人いる！』</a>や<a href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/1569312389/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=1569312389&amp;linkCode=as2&amp;tag=mattthorncom-22&amp;linkId=9bcdd79e1d48f6f10c2bb622727349ab">『A－A'』</a>、そして吉田秋生先生の<a href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/1569319723/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=1569319723&amp;linkCode=as2&amp;tag=mattthorncom-22&amp;linkId=dafed9985e73928a8299ec1d0589a20b">『BANANA FISH』</a>を英訳出版することができました。これほんと、ちょっとすごいことだった！今までのアメリカでのマンガの在り方に、殴り込みかけてるみたいなもんだったしね！</div><div>　また、そのうち９０年代の英訳マンガの事情や歴史、そして「日本少女マンガ宣教師第１号」として私の布教活動（笑）について詳しく紹介しよう。</div><div>　さて、ここまでは「まえがき」（え？そうなの？って思ったでしょ？）だったけど、次回は「少女マンガって、どこから来たの？」、つまり少女マンガの歴史の話、Part 1へ。</div><div>　お楽しみに！</div><div>©️2018 Rachel Matt Thorn</div></div>]]></content:encoded></item><item><title>少女マンガの繁栄と衰退と…復活…？Part 2</title><description><![CDATA[ブログ、週２回のペースで更新したいな❤️と思ってたけど、のっけから己の誓いを破ってしまった💦さて、前回の続き。 「英語圏の人々に日本の少女マンガを紹介したい！」と思った２０代前半の私。だけど、どうやって紹介すれば良いか分からない。 　それまで漠然と、「小説家になれたらいいな〜」と思ってペンシルベニア州立大学で「クリエイティブ・ライティング」を専攻にしていた。（ちなみに、教授たちにはよく「文章は上手いけど、起承転結の物語になってないね」と言われてたんだよね…。今と変わらない気がする。）　だけど、少女マンガに惚れた私は、英語圏の人に日本の少女マンガを広めるべく、ペンシルベニア州立大学を卒業してから、イリノイ大学の「東アジア研究科」に入学して、ヒントを探し始めたんですよ。研究したい対象が、クリエイティブライティングから方向転換。]]></description><link>https://www.matt-thorn.com/single-post/2018/06/04/%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%81%AE%E7%B9%81%E6%A0%84%E3%81%A8%E8%A1%B0%E9%80%80%E3%81%A8%E2%80%A6%E5%BE%A9%E6%B4%BB%E2%80%A6%EF%BC%9FPart-2</link><guid>https://www.matt-thorn.com/single-post/2018/06/04/%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%81%AE%E7%B9%81%E6%A0%84%E3%81%A8%E8%A1%B0%E9%80%80%E3%81%A8%E2%80%A6%E5%BE%A9%E6%B4%BB%E2%80%A6%EF%BC%9FPart-2</guid><pubDate>Mon, 04 Jun 2018 11:52:40 +0000</pubDate><content:encoded><![CDATA[<div><div> ブログ、週２回のペースで更新したいな❤️と思ってたけど、のっけから己の誓いを破ってしまった💦さて、前回の続き。</div><div> 「英語圏の人々に日本の少女マンガを紹介したい！」と思った２０代前半の私。だけど、どうやって紹介すれば良いか分からない。</div><div>　それまで漠然と、「小説家になれたらいいな〜」と思ってペンシルベニア州立大学で「クリエイティブ・ライティング」を専攻にしていた。（ちなみに、教授たちにはよく「文章は上手いけど、起承転結の物語になってないね」と言われてたんだよね…。今と変わらない気がする。）</div><div>　だけど、少女マンガに惚れた私は、英語圏の人に日本の少女マンガを広めるべく、ペンシルベニア州立大学を卒業してから、イリノイ大学の「東アジア研究科」に入学して、ヒントを探し始めたんですよ。研究したい対象が、クリエイティブライティングから方向転換。</div><div>　イリノイ大学では、私の「日本の少女マンガを研究したい！」という気持ちを応援してくれる教授が居るには居たけど、どのように研究すればいいか、指導出来る教授は居ない。（そりゃそうだ）モデルになるような研究も見当たらない。（それもそうだよね）そこで、とりあえず安易に、比較文学の方法論を使って萩尾望都の『ポーの一族』を分析する学会発表をやってみた！結果、それなりに評価されるけど、自分では納得いかない。</div><div>　結局私の分析は一人の読者の、カッコつけた「感想文」に過ぎなかったんだよねー。しかも、私は決して代表的な読者ではない。『ポーの一族』の元のターゲットは、十代の日本人女性だったはず。22歳で初めてその作品を読んだ私は、19歳で日本語を学び始めたアメリカ国籍白人男性（のフリをするトランスジェンダー 女性）だった。はい、ターゲットからずれてましたね。</div><div>　余談と言うか今更のちょっと惨めな自慢話だけど、当時「少女マンガの研究をしてます」と自己紹介すると、相手は思わず「ぷっ」と吹き出して、「ごめん、でもいかにも少女マンガに出て来そうな人だから、つい💦」と笑われたりしてた。そう、今では想像しにくいかと思うけど、当時はフサフサの金髪ロン毛で、足も長くて、ぶっちゃけモテてたよ。いや、ほんとに。信じて。ほら、証拠写真がある。※無修正！</div><div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_04afd58d6d7a4037bd0dbdf1bbd976db~mv2.jpg"/><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_0270d3123a2c491c8db83ed5976ddbc4~mv2.jpg"/></div><div> えーと、なんの話だったっけ？あ、そうそう、少女マンガに関して私が本当に知りたかったのは、そもそものターゲットである読者（つまり、日本人女性）にとって、少女マンガというジャンル（ジャンルと言っていいか分からないけど）は、どういう意味を持ってるのか？彼女たちの生活において、人生において、少女マンガはどういう位置を占めるのか？ということだった。</div><div>　そこで私に必要だったのは、文化人類学の方法論。イリノイで修士をとったあと、今度はコロンビア大学の人類学学部文化人類学科のドクターコースに進んだ。在学中に国際交流基金から助成金をもらって、一年間神戸の二つの高校で「参与観察」をさせてもらった。んー懐かしい。1994年から９５年にかけてでした。このブログを読んでくれてるあなたは何歳だった？もし、その時、神戸に在住で、漫研に所属してたら、私と会ってたかもね！</div><div>　参与観察っていうのは、The文化人類学的方法論なんだけど、説明すると長くなるから割愛。具体的には、漫研に参加したり、数十人の生徒を継続的にインタビューしたり、1000人以上にアンケートしたりと、徹底的に「マンガの読者としての日本人女性」を調査しましたね〜。このブログでいずれその調査を詳しく紹介しようっと。</div><div>　それで、読者を調査してるうちに、三宮センター街のマンガ専門店「まんがくらぶ」の店員さんの話を聞くようになって、その後さらに店長から話を聞いたりしたなぁ。</div><div>　私が神戸で調査をしていたのは、1994年の夏から1995年の夏まで。意味、分かりますか？そう。阪神大震災と見事にかぶった。国鉄（懐かしかろう！）芦屋駅のすぐ横に家族（当時の💦）と一緒に住んでたマンションが「半壊」になった。幸い身内はみんな無事でした。でも私が調査していた高校の生徒、一人亡くなったんですよ。いつか、それこそ体験をここで詳しく書いてみようかな。長年、思い出すのが辛くて、人に震災の話まったく出来なかったけど。</div><div>　大変お世話になった「まんがくらぶ」も、震災で潰れたんだよね。三宮に行けるようになってから見に行って、すでに撤去された店の、空色と淡いピンクの床のタイルを眺めて、泣いてしまった。（当時の神戸では、そんな場面は珍しくないので、道を行く人々は私の気持ちを察してそっとしてくれた）でも幸い、店長も店員さん達もみんな無事だった！</div><div>　その後、大阪のマンガ専門店「わんだ〜らんど」の伝説的店長・南端（みなみはた）ご夫妻を紹介していただいたり、一般読者中心だった私の研究が段々と業界の方へと広がっていって、やがては凄腕編集者山本順也さん（『別冊少女コミック』『プチフラワー』）、そして私にとっての原点である、マンガ家萩尾望都先生とのご縁を頂いたのでした！！！</div><div>＜つづく＞</div><div>©️2018 Rachel Matt Thorn</div></div>]]></content:encoded></item><item><title>そろそろ本題〜少女マンガの繁栄と衰退と…復活…？Part 1</title><description><![CDATA[　「今更少女マンガぁ？」　と、このブログのタイトルを読んで思う方は少なくないでしょう。（平成生まれならなおさら。）実際少女マンガは今流行らない。いや、もちろんヒット作はあるけど、「少女マンガ」という文化は今流行らないよね。むしろ、時代はアンチ少女マンガだと言えるかも。 　こんな時代がやってくるなんて、昔の私なら想像もつかなかったでしょう。 　「どうせ『昔は良かった』と言うんだろ、オバちゃん」とさっそくツッコマレそう。 　うん。まあ、昔は良かったよ。でもこれは懐かしズムのブログではない。昔に戻したいワケでもない。（それに「昔は良かった」と言っても、昔だって大半の作品はウンコだったよ。そのウンコな作品は忘れられているだけで。） 　このブログでは、少女マンガの歴史を振り返って、その現在を見つめて、その将来について想像して、「少女マンガの良さとはなんだろう」「少女マンガの可能性とはなんだろう」「少年マンガや大人向けのマンガでは出来なくて少女マンガにしか出来ないこととはなんだろう」「そもそも少女マンガってなんだろう」、そんなことを考えていただきたいと思う。 <img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_67aa3e98884e4bf28bd22933510ae3f1%7Emv2.jpg/v1/fill/w_543%2Ch_390/fba035_67aa3e98884e4bf28bd22933510ae3f1%7Emv2.jpg"/>]]></description><link>https://www.matt-thorn.com/single-post/2018/05/29/%E3%81%9D%E3%82%8D%E3%81%9D%E3%82%8D%E6%9C%AC%E9%A1%8C%E3%80%9C%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%81%AE%E7%B9%81%E6%A0%84%E3%81%A8%E8%A1%B0%E9%80%80%E3%81%A8%E2%80%A6%E5%BE%A9%E6%B4%BB%E2%80%A6%EF%BC%9FPart-1</link><guid>https://www.matt-thorn.com/single-post/2018/05/29/%E3%81%9D%E3%82%8D%E3%81%9D%E3%82%8D%E6%9C%AC%E9%A1%8C%E3%80%9C%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%81%AE%E7%B9%81%E6%A0%84%E3%81%A8%E8%A1%B0%E9%80%80%E3%81%A8%E2%80%A6%E5%BE%A9%E6%B4%BB%E2%80%A6%EF%BC%9FPart-1</guid><pubDate>Tue, 29 May 2018 06:24:06 +0000</pubDate><content:encoded><![CDATA[<div><div>　「今更少女マンガぁ？」</div><div>　と、このブログのタイトルを読んで思う方は少なくないでしょう。（平成生まれならなおさら。）実際少女マンガは今流行らない。いや、もちろんヒット作はあるけど、「少女マンガ」という文化は今流行らないよね。むしろ、時代はアンチ少女マンガだと言えるかも。</div><div>　こんな時代がやってくるなんて、昔の私なら想像もつかなかったでしょう。</div><div>　「どうせ『昔は良かった』と言うんだろ、オバちゃん」とさっそくツッコマレそう。</div><div>　うん。まあ、昔は良かったよ。でもこれは懐かしズムのブログではない。昔に戻したいワケでもない。（それに「昔は良かった」と言っても、昔だって大半の作品はウンコだったよ。そのウンコな作品は忘れられているだけで。）</div><div>　このブログでは、少女マンガの歴史を振り返って、その現在を見つめて、その将来について想像して、「少女マンガの良さとはなんだろう」「少女マンガの可能性とはなんだろう」「少年マンガや大人向けのマンガでは出来なくて少女マンガにしか出来ないこととはなんだろう」「そもそも少女マンガってなんだろう」、そんなことを考えていただきたいと思う。</div><div>　なので、「『ベルばら』のアンドレは…」とか「BANANA FISHで描かれるニューヨークは…」などと、特定のヒット作品をこのブログで詳しく取り上げることはほとんどない。あなたの大好きなあの作品の話も、あまり出て来ないでしょう。（大好きな作品ならあなたはすでに詳しいので私がここで取り上げてもあなたの知識は深まらないし視野も広がらない。）</div><div>　じゃあ、このブログで具体的に何をどう見るのか。それを説明するのにまず長めの自己紹介が必要かと思う。</div><div>　初めまして。レイチェル・マット・ソーンです。アメリカ国籍の日本永住者です。白人です。アラフィフです。ハゲです。ノンケ男性…に見せかけてのトランスジェンダー女性（レズビアン）です。ハロウィーンにかける情熱は異常です。文化人類学者です。戦前戦後の少女雑誌や付録をコレクションしてます。京都精華大学マンガ学部の准教授です。</div><div>　私が初めて日本に来たのは１９８５年の秋。バブル景気が始まろうとしてる日本。最近だと日本のアニメやマンガに興味を持って日本に来る留学生は多いけれど、当時西洋から日本へやって来る留学生と言えば基本的に二通りのタイプが居た。経済絶好調の日本に憧れて日本のビジネスノウハウを学んで国に帰って金持ちになりたいタイプと、不思議な東洋に憧れて禅やら茶道やらを勉強したいタイプ。ところが私はどちらのタイプにも当てはまらなかった。</div><div>　私はただ単に女の子を追いかけて日本に来ただけです。</div><div>　しかも私が追いかけて来た女の子（アメリカ人）はまた別の女の子（日本人）を追いかけて日本に来ただけだ。それこそ誰かに少女マンガにしてほしいドラマチックな三角関係だったわ。私が追いかけて来た子は留学中にレズビアンとして目覚めて、途中で帰国する。そして不謹慎な動機で来た二十歳の私は日本に残る。</div><div>　笑える話だけど、それが結果的に良かったんじゃないかなと思う。というのは、先ほど挙げた金持ちになりたいタイプや不思議な東洋に憧れるタイプは日本に対して大きな期待を抱いて留学して来た。（そしてそのほとんどは幻滅した。）私は（好きな女の子とくっつくこと以外）何の期待も先入観も無く日本へ来た。だからありのままの日本を受け入れることが出来たと思う。</div><div>　そんな中で、私は日本のマンガに出会った。</div><div>　最初はバカにしてたよ？「いい年したオッサンが電車の中でエロマンガなんか読んでなさけないなぁ」と日本人の友人にボソッと言ったら、「いや、日本のマンガは奥が深いよ」と言われ、手塚治虫の『火の鳥』や白土三平の『カムイ伝』など、古典と言われるマンガをその年上の友人に紹介してもらった。それらの作品には感心はしたけれど、人生を変えるほどの衝撃を私に与えた作品は、同い年の女の子に紹介してもらったものだ。</div><div>　「これ、ぜひ読んでほしい」と言って、真剣な眼差しで、まるでファベルジェの卵を渡すかのように、私に２冊の単行本を渡した。赤い表紙の「萩尾望都作品集」の１１巻と１２巻。<a href="https://bookmeter.com/books/527784">『トーマの心臓』</a>。</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_67aa3e98884e4bf28bd22933510ae3f1~mv2.jpg"/><div>　『トーマの心臓』を読んで、私は号泣した。ボロボロになった。そしてマンガ読んで号泣する自分に驚いた。</div><div>　「マンガで泣くなんて…そんなの有り？」</div><div>　日本人からすれば、とりわけ日本人女性からすれば、マンガで泣くのはごく当たり前のことだけれど、少なくとも私が読み育ったスーパーヒーロー系のアメコミを読んで「泣く」というのは「無し」だった。ありえないことだった。そもそも作る側はそんな可能性を考えてもみないでしょう。（今のアメコミはちょっと違うのですが。）</div><div>　それまで私が読んだ日本マンガ、たとえば『火の鳥』で、うるっとなる場面はあったけれども、ここまでボロボロになることはなかった。「動揺」としか言いようのない反応だった。</div><div>　どうして私は「動揺」してしまったのか。</div><div>　当時の私は冷静に考えることが出来なくて、「この作品が凄すぎるから動揺したんだ、号泣したんだ」と単純に理解した。しかしどうだろう。もちろん、『トーマの心臓』を名作だと考える一般読者も評論家もたくさんいる。しかし『トーマの心臓』は何かの賞を受賞したわけではない。（萩尾先生の同じ時期の作品である『ポーの一族』と『１１人いる！』の方は１９７５年度小学館漫画賞を受賞してる。）そして『トーマ』は池田理代子の『ベルサイユのばら』のような爆発的なヒット作でもなかった。（やはり『ポーの一族』の方が売れたらしい。）むしろ『トーマ』は何ヶ月も打ち切りになりそうになったと言う。</div><div>　以前、私が担当してた「マンガ史概論」という授業で毎年学生に『トーマ』を読ませていたけど、感動するのは受講者の全体の１〜２割。他の学生の感想と言えば、「よく分からない」、「難し過ぎる」、「なんでトーマがいきなり自殺するのか意味分かんない」、「第一、誰が主人公なのか分かりません」などと、こんな具合である。（「こいつ今ネタバレしやがった！」と思ったあなた、ご安心下さい。トーマが自殺するのは２ページ目なので、ネタバレのうちに入りません。）</div><div>　私が威張る学者なら「そんな読者は頭悪すぎてこの作品の良さが分からないだけだ！」と言うかもしれないが、残念ながらそんな断言をするほどの自信はありません。多くの読者が私の大好きな『トーマの心臓』を読んで感動しないのは事実であって、彼らが「間違っている」と私が主張する根拠は見当たらない。</div><div>　他の少女マンガファンが「名作だ！」と絶賛する作品の中に、私が別に感動しないものもある。評論家やコアな少女マンガファンが「読むに値しない駄作だ」と貶す作品の中、私が感銘を受けたものもある。</div><div>　それこそ少女マンガの醍醐味である！というのは、このブログの大きなポイントの一つだ。少女マンガの特徴の一つは、作品の内容や表現からして、一人一人の読者がその作品（というよりそれを描いた作者）に共鳴出来るかどうかが、その読者にとっての価値を決める。そして感動するかどうかは、その読者が作品を読む時点でおかれている状況やそれまでの経験によって決まる。</div><div>　つまり２２歳の私も、『トーマの心臓』に共鳴しやすい心境だったから共鳴して号泣した。</div><div>　しかし当時の私はそんな難しいことを考えてなかった。「すごい！すごい！これは文学だ！」と、単純に思っただけだ。それからというもの、とにかくいろんな女性のおすすめを聞いて、少女マンガを読みまくった。竹宮惠子の<a href="https://bookmeter.com/books/525391">『風と木の詩』</a>。<a href="https://bookmeter.com/books/548291">大島弓子の数々の短編</a>。山岸凉子の<a href="https://bookmeter.com/books/572548">『日出る処の天子』</a>。岡田あ〜みんの<a href="https://bookmeter.com/books/526795">『お父さんは心配性』</a>。<a href="https://bookmeter.com/books/499478">清水玲子のジャック＆エレナシリーズ</a>。一条ゆかりの<a href="https://bookmeter.com/books/547899">『有閑倶楽部』</a>。紡木たくの<a href="https://bookmeter.com/books/565186">『ホットロード』</a>。玖保キリコの<a href="https://bookmeter.com/books/428429">『シニカル・ヒステリー・アワー』</a>。鈴木由美子の<a href="https://bookmeter.com/books/473105">『白鳥麗子でございます！』</a>。</div><div>　はい。無差別でした。好き嫌い無しにとにかく勧められたものを全部読んでみた。そして強く思った。</div><div>　「英語圏の人々に日本の少女マンガを紹介したい！」</div><div>　＜つづく＞</div><div>©️2018 Rachel Matt Thorn</div></div>]]></content:encoded></item><item><title>セクマイのあなた！志村貴子先生の作品について意見を教えてください！</title><description><![CDATA[まず連絡事項が二つほどあります。お気づきかと思いますが、名前を変えました。トランスジェンダーとしてカミングアウトして２年ぐらい経つと思うけど、生まれたときにもらった名前そのまま使い続けた。決して女性に舐めに聞こえないよね。日本人に帰化する予定なので、日本語名ばかりを考えて、英語名をあまり考えてなかった。実は、自分で自分の名前を決めることに抵抗がある。やはり、子の名は親が決めるものだと。しかし、親にはカミングアウトしてない。パートナーと姉のローダと相談した結果、私の母にトランスジェンダーであることをカミングアウトしないと決めた。その相談はだいたいこんな内容だった。私：今日、母にカミングアウトしようかと思ってる。 姉：何言ってんの？分かるわけないじゃん。それにもう85歳だよ？今更意味あるの？ パートナー：姉さんと同意。<img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_26503112966345e58094d932b631920d%7Emv2.jpg"/>]]></description><link>https://www.matt-thorn.com/single-post/2017/09/09/%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%81%AE%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%EF%BC%81%E5%BF%97%E6%9D%91%E8%B2%B4%E5%AD%90%E5%85%88%E7%94%9F%E3%81%AE%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E6%84%8F%E8%A6%8B%E3%82%92%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84%EF%BC%81</link><guid>https://www.matt-thorn.com/single-post/2017/09/09/%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%81%AE%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%EF%BC%81%E5%BF%97%E6%9D%91%E8%B2%B4%E5%AD%90%E5%85%88%E7%94%9F%E3%81%AE%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E6%84%8F%E8%A6%8B%E3%82%92%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84%EF%BC%81</guid><pubDate>Sat, 09 Sep 2017 13:10:03 +0000</pubDate><content:encoded><![CDATA[<div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_a928253912f34c92ad6abfcdeb06e8c5~mv2.jpg"/><div>まず連絡事項が二つほどあります。</div><div>お気づきかと思いますが、名前を変えました。トランスジェンダーとしてカミングアウトして２年ぐらい経つと思うけど、生まれたときにもらった名前そのまま使い続けた。決して女性に舐めに聞こえないよね。日本人に帰化する予定なので、日本語名ばかりを考えて、英語名をあまり考えてなかった。実は、自分で自分の名前を決めることに抵抗がある。やはり、子の名は親が決めるものだと。</div><div>しかし、親にはカミングアウトしてない。パートナーと姉のローダと相談した結果、私の母にトランスジェンダーであることをカミングアウトしないと決めた。その相談はだいたいこんな内容だった。</div><div>私：今日、母にカミングアウトしようかと思ってる。 姉：何言ってんの？分かるわけないじゃん。それにもう85歳だよ？今更意味あるの？ パートナー：姉さんと同意。 私：おーけー。</div><div>しかし男性の名前のままだと混乱されるし（実際今までよく混乱されてるし）、女性名がほしいと思う。でも自分の名前を選ぶということになんとなく抵抗がある。そこでちょっとずるい手を使った。まったく別件のメールの最後に、こんな追伸を書いた。</div><div>突然だけど、私が女の子だったらなんて名前にする予定だった？やっぱり「R」で始まる名前？（笑）</div><div>（うちの姉、長女は「レベッカ」、次女は「ローダ」だからね。）</div><div>で、母の返事は</div><div>あなたが女の子だったらレイチェルにする予定だったよ</div><div>と。冗談で言ったつもりのに本当に「R」で始まる名前だった！しかもどれも聖書に出て来る名前。</div><div>私的にピンと来るけど、パートナーは「帰化した時レイチェルに当て字つけたら変だよ！あの鬼怒鳴門ってジイさんみたいになるよ」と言われた。確かに当て字は難しいかも。しかし「れいちる」なら３文字でそんなに変じゃない当て字考えられるんじゃない？</div><div>もう一つの可能性は、帰化した時に名字を（もちろん）パートナーのにして、下の名前をもっと日本語っぽい名前にして、そして通称をソーンレイチェルにする。</div><div>大学ではまだ「マット・ソーン」のままだけど、来年度から正式に「レイチェル・ソーン」に変える予定。今後の出版物ではレイチェルにします。</div><div>もう一件の連絡事項。１ヶ月ほどSNSを控えます。ツイッターもフェイスブックもインスタも休みます。なぜなら、締め切りに追われているからです。複数の。そこでやっとこの投稿の本題に入る。</div><div>書かなければいけない原稿の一つは志村貴子の海外における反響と国内の反響の比較です。そこでみなさんの志村貴子作品に関するご意見・ご感想を聞かせてほしいです！</div><div>特に聞きたいのは、LGBT当事者のご意見です。詳しく言いますと、</div><div>１）トランスジェンダー／Xジェンダー当事者の『放浪息子』などトランスジェンダーをテーマにした作品に関するご意見・ご感想</div><div>２）レズビアンまたはバイセクシュアル／パンセクシュアル女性の『青い花』など女性の同性愛をテーマにした作品に関するご意見・ご感想</div><div>ぜひメッセージにて聞かせてください！</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_26503112966345e58094d932b631920d~mv2.jpg"/></div>]]></content:encoded></item><item><title>いぬ？</title><description><![CDATA[最近西瓜姫はこの犬（？）の絵にすごく反応する。たぶん「あ、これは犬だ！」と気づいたことが嬉しいのかな？にしてもよく「いぬ」だと認識できたね。「人はどのレベル（画才と読解双方の絡みがあるけど）から犬と気づけるんだろう？」と、うちのパートナーが言ってた。Photo by Tsuma<img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_86dccaa8bada4e85b14e1bbc55298918%7Emv2.jpg/v1/fill/w_626%2Ch_1113/fba035_86dccaa8bada4e85b14e1bbc55298918%7Emv2.jpg"/>]]></description><link>https://www.matt-thorn.com/single-post/2016/10/13/%E3%81%84%E3%81%AC%EF%BC%9F</link><guid>https://www.matt-thorn.com/single-post/2016/10/13/%E3%81%84%E3%81%AC%EF%BC%9F</guid><pubDate>Thu, 13 Oct 2016 13:23:14 +0000</pubDate><content:encoded><![CDATA[<div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_86dccaa8bada4e85b14e1bbc55298918~mv2.jpg"/><div> 最近西瓜姫はこの犬（？）の絵にすごく反応する。たぶん「あ、これは犬だ！」と気づいたことが嬉しいのかな？にしてもよく「いぬ」だと認識できたね。「人はどのレベル（画才と読解双方の絡みがあるけど）から犬と気づけるんだろう？」と、うちのパートナーが言ってた。Photo by Tsuma</div></div>]]></content:encoded></item><item><title>昭和30年代・手塚の強敵たち〜誰が評価する？</title><description><![CDATA[土曜日は京都国際マンガミュージアムの研究閲覧室で昭和30年代の『りぼん』と『少女ブック』を見ていて、改めて色んなことに気づいたんだよね。そのうちの一つは、手塚治虫が雑誌に載っているからと言って、手塚が必ずしもその号の一番優れたマンガを描いているとは限らないという事。逆に「こんなに上手いのにどうして忘れられているんだろう？」というマンガ家が散見される事。（みなさんはきっと私の「手塚治虫は神様ではなかった」論を聞き飽きているので、ここで手塚先生のあら探しはしない。）今回は、時代の陰に埋もれてしまったマンガ家の話をしたいと思う。まずは1959年３月号の『りぼん』に掲載されている二つの作品を比べてみるね。最初に目に入ったのは手塚先生の『あけぼのさん』というバレエマンガ。　カラーの扉絵が面白くて綺麗だね。<img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_3066920bdec249698f9014a4cd64edb0%7Emv2.jpg/v1/fill/w_543%2Ch_767/fba035_3066920bdec249698f9014a4cd64edb0%7Emv2.jpg"/>]]></description><link>https://www.matt-thorn.com/single-post/2016/06/23/%E6%98%AD%E5%92%8C30%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E3%83%BB%E6%89%8B%E5%A1%9A%E3%81%AE%E5%BC%B7%E6%95%B5%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%80%9C%E8%AA%B0%E3%81%8C%E8%A9%95%E4%BE%A1%E3%81%99%E3%82%8B%EF%BC%9F</link><guid>https://www.matt-thorn.com/single-post/2016/06/23/%E6%98%AD%E5%92%8C30%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E3%83%BB%E6%89%8B%E5%A1%9A%E3%81%AE%E5%BC%B7%E6%95%B5%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%80%9C%E8%AA%B0%E3%81%8C%E8%A9%95%E4%BE%A1%E3%81%99%E3%82%8B%EF%BC%9F</guid><pubDate>Wed, 22 Jun 2016 23:02:57 +0000</pubDate><content:encoded><![CDATA[<div><div>土曜日は<a href="http://www.kyotomm.jp">京都国際マンガミュージアム</a>の研究閲覧室で昭和30年代の『りぼん』と『少女ブック』を見ていて、改めて色んなことに気づいたんだよね。</div><div>そのうちの一つは、<div>手塚治虫が雑誌に載っているからと言って、手塚が必ずしもその号の一番優れたマンガを描いているとは限らないという事。逆に「こんなに上手いのにどうして忘れられているんだろう？」というマンガ家が散見される事。</div></div><div>（みなさんはきっと私の「手塚治虫は神様ではなかった」論を聞き飽きているので、ここで手塚先生のあら探しはしない。）</div><div>今回は、時代の陰に埋もれてしまったマンガ家の話をしたいと思う。</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_3066920bdec249698f9014a4cd64edb0~mv2.jpg"/><div>まずは1959年３月号の『りぼん』に掲載されている二つの作品を比べてみるね。</div><div>最初に目に入ったのは手塚先生の『あけぼのさん』というバレエマンガ。</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_c089a517d6e34861988d23e612039926~mv2_d_2214_3180_s_2.jpg"/><div>　カラーの扉絵が面白くて綺麗だね。</div><div>　さて、中身の方は…</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_9caf65ee7a0d4b33999a22f67f8de8ba~mv2_d_3264_2448_s_4_2.jpg"/><div>ふむふむ。この時代の手塚先生のマンガはこんなもんでしょうね。右側はこの時代にありがちな、文字だらけのごちゃごちゃした画面だけど、左側はもうちょっと面白い。</div><div>でも、せっかくの大ゴマの使い方は「？」だよね。</div><div>左下は殿様のちょんまげ？いや、よく見ると街灯。</div><div>主人公の後ろの煙は戦前のマンガの表現そのままですね。</div><div>『のらくろ』によく出てくる。</div><div>あけぼのちゃん、まさかここまで膝をついて歩いたのか！？</div><div>五体投地？！スポ根！？</div><div>などのつっこみはさておき、次に目にとまった作品には思わず「お！」と声を出してしまった。</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_5a5852445f30481899f9c80a5e4128df~mv2_d_2448_3264_s_4_2.jpg"/><div>鈴木光明先生の『もも子探偵長』。</div><div>そういえば、以前復刊版をネットで見かけたことがあるけど、こんなに古い作品だったんだね。</div><div>というか、私の鈴木光明先生のイメージは「80年代に時代遅れの絵で少女マンガの描き方の本を出した人」でしかなかった。（←ひどい。）</div><div>それにしても、この扉絵は（当時の水準だと）斬新で綺麗。</div><div>カケアミが綺麗。</div><div>線が綺麗。</div><div>デフォルメがキュート。</div><div>ふーむ。</div><div>ページをめくっているうちに…</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_91fc4a7bae854feba2cac3bb7711792a~mv2_d_3264_2448_s_4_2.jpg"/><div>さっきの手塚先生の作品よりうまいじゃん。</div><div>ここで断っておくけど、この日はあまりじっくり読む時間がなかったので、今回の私の評価は基本的に「絵」と「画面の使い方」に対するもので、物語の評価ではないです。あしからず。</div><div>それにしても鈴木先生、</div><div>線が綺麗。</div><div>見せ方がうまい。</div><div>いちいち可愛い。</div><div>後で調べたら、この時の鈴木先生は23歳だった。</div><div>（手塚先生は30歳だった。）</div><div>鈴木先生の生原稿を見たくなるよね。</div><div>私は、家に帰ってさっそく復刊版を注文しました。</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_438a4e562c59494890fe8075fab1d0ec~mv2_d_2309_1607_s_2.jpg"/><div>分厚い！</div><div>私は読むのが遅いからまだ少ししか読んでないけど、この時代の水準だとかなりクオリティが高いと思う。</div><div>まあ、復刊ドットコムで復刊を実現出来たレベルだから、「忘れられた」わけではないけど、もっと評価されてもいいのにと思ってしまうよね。</div><div>しかし、次に紹介するお二方に比べて鈴木先生の扱われ方は、まだマシ。</div><div>この日に見た作品の中で単純にマンガとしてうまいと思ったのは神崎あきら先生の『みどりの大平原』（川内康範・原作）と西奈貴美子先生の『母のひみつ』（杜山悠・案）２作品。</div><div>まずは『みどりの大平原』。</div><div>残念ながら扉絵とあらすじのカットしか撮らなかったんだよね。</div><div>もっと撮ればよかった！</div><div>だけど、これだけでも画力と構成力がわかります。</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_b5312ec409fd498b849e8d913bc8e2ae~mv2_d_2448_3264_s_4_2.jpg"/><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_6d8fa80bd6b54e8e8f58a0ba6ef7a807~mv2_d_3264_2448_s_4_2.jpg"/><div>ウマをウマく描けるマンガ家は少ない。</div><div>だいたい変なことになる。</div><div>この馬もツッコミどころがないわけではない。</div><div>前足は後ろ足と比べてえらく小さいとか。</div><div>暴れ過ぎて一本の足しか地面に触れてないとか。</div><div>主人公のお尻の位置は左に寄り過ぎて落ちそうになっているところとか。</div><div>が、それなりに説得力と迫力のある絵になっていると思う。</div><div>あらすじのカットも、3人の顔しか描いていないけどそれぞれの表情の描き分けが素晴らしい。</div><div>そしてやはり線が綺麗。</div><div>（私は基本的に綺麗な絵が好きだから、「絵よりストーリーだろう！」という人はご勘弁ください。）</div><div>『母のひみつ』も扉絵とあらすじしか撮っていない上、扉絵がピンボケしてしまってたので、ネットで別の号の付録の表紙を見つけたので、そちらを載せてみますね。</div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_a551cd4e7e194e99b47eb0ecb9ded950~mv2.jpg"/><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_4fd2fa072d884a43bed8207ebdee177a~mv2_d_3264_2448_s_4_2.jpg"/><div>やっぱり可愛いね。</div><div>お母さんの表情もうまく描けている。</div><div>だけど、検索しても「神崎あきら」も「西奈貴美子」もなかなか出て来ない。</div><div>正確に言うと、西奈先生はそれなりの数のマンガを描いているにもかかわらず西奈先生についての文章はどこにも見当たらない。</div><div>神崎先生の方はどうやら２、３作ぐらいしか描いていないよう。</div><div>本当にうまいのに、なぜだろう？？</div><div>などなどと、つらつら考えているうち、思った。</div><div>「手塚先生を含めて、このマンガ家たちは当時どう評価されていたんだろう」と。</div><div>いや、考えてみれば、当時の状況は今と全く違って、</div><div>そもそも「評価」と言えるような評価はあったのか？</div><div>言うまでもないがこの時代には「マンガ評論家」なんて存在しない。</div><div>マンガの批評ももちろんない。</div><div>目次を見てください。</div><div><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_8c5a2a18a7b841db8f720e776afcbe0c~mv2_d_2448_3264_s_4_2.jpg"/><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_5ea5f63bb21843b7866f0b37aae93a16~mv2_d_2448_3264_s_4_2.jpg"/><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_609352a0065447c9a584aa428d491dbc~mv2_d_2448_3264_s_4_2.jpg"/><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_54e46461dfe84d25bb3f89d97ea0cc6e~mv2_d_2448_3264_s_4_2.jpg"/><img src="http://static.wixstatic.com/media/fba035_3e44192484e94aa9bedfc6663b81250c~mv2_d_2448_3264_s_4_2.jpg"/></div><div>『少女ブック』にはマンガ家の名前が載っているけど、</div><div>『りぼん』の方は目次に名前すら載っていない。</div><div>当時の読者は小学生。</div><div>（この時代の中学生は原則としてマンガを読まない。ただし貸本マンガ本は別。そのうち貸本マンガについて書こう。）</div><div>さて、読者が作者の名前を見るのだろうか？</div><div>「私は鈴木先生より手塚先生のマンガの方が好きだわ」というような会話があったと思えない。</div><div>子供の評価は、作品そのものが「好き・嫌い・どっちでもいい」ぐらいしかないよ。</div><div>（それは今でもそうだけど。）</div><div>単行本というものが、まだほとんど存在しない時代でもあるから、単行本の売れ行きで人気を測ることもできない。</div><div>あるのは、当時の編集者たちの評価だ。</div><div>そして当時の編集者たちはほぼ全員男性。</div><div>いつから、誰によって、「手塚治虫は神様だ、他のマンガ家とは格が違う」と言われ始めたんだろう。</div><div>少なくとも言えるのは、団塊の世代の評論家たち（つまりこの時代の小学生たち、全員男性）が評価したのは自分たちの思春期の頃に少年誌で活躍したマンガ家達。</div><div>その評価されたマンガ家たちもまた全員男性だった。（ただし、故・米沢嘉博さんが少女マンガとその作家たちを非常にまじめに研究し評価なさったことを指摘しなければいけない。）</div><div>男性の評論家がよくピックアップするこの時代の少女マンガといえば、横山光輝先生やちばてつや先生の作品だよね。</div><div>ちば先生は本当に素晴らしい少女マンガを描いていたけど、横山先生の少女マンガは果たしてそんなに素晴らしいか。</div><div>私はそうは思わない。</div><div>横山先生より上手いマンガ家も同じ少女誌で活躍していたのに、その人達は評価されていない。</div><div>なにが言いたいかというと、<div>私たちが「史実」として受け継いでいる「マンガ史の常識」は男性中心の偏見から生まれたもので、当時の状況をそのまま反映しているものではない。</div></div><div>当時の編集者たちの話を聞けばより正確なイメージをつかむことができるかもしれないけど、その編集者たちは当時でも少女マンガを見下していたり、そのあとの展開の影響で当時の記憶が歪曲されていたりするんじゃないかな。</div><div>それより、私は当時の読者の記憶を探りたいと思う。</div><div>彼女たちは今頃６０代前半のはず。</div><div>今度マンガミュージアムに行く時、８人ぐらいのその年齢のおばちゃんを連れて一緒に雑誌を見てみたいね。</div><div>ふいー、今回はこれでお終い。</div><div>次回は、なんであらすじばかりを撮ったか説明しようかな。</div><div>今日のより軽い話だよ。</div></div>]]></content:encoded></item></channel></rss>