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少女マンガの繁栄と衰退と…復活…?Part 2

ブログ、週2回のペースで更新したいな❤️と思ってたけど、のっけから己の誓いを破ってしまった💦さて、前回の続き。

「英語圏の人々に日本の少女マンガを紹介したい!」と思った20代前半の私。だけど、どうやって紹介すれば良いか分からない。

 それまで漠然と、「小説家になれたらいいな〜」と思ってペンシルベニア州立大学で「クリエイティブ・ライティング」を専攻にしていた。(ちなみに、教授たちにはよく「文章は上手いけど、起承転結の物語になってないね」と言われてたんだよね…。今と変わらない気がする。)

 だけど、少女マンガに惚れた私は、英語圏の人に日本の少女マンガを広めるべく、ペンシルベニア州立大学を卒業してから、イリノイ大学の「東アジア研究科」に入学して、ヒントを探し始めたんですよ。研究したい対象が、クリエイティブライティングから方向転換。

 イリノイ大学では、私の「日本の少女マンガを研究したい!」という気持ちを応援してくれる教授が居るには居たけど、どのように研究すればいいか、指導出来る教授は居ない。(そりゃそうだ)モデルになるような研究も見当たらない。(それもそうだよね)そこで、とりあえず安易に、比較文学の方法論を使って萩尾望都の『ポーの一族』を分析する学会発表をやってみた!結果、それなりに評価されるけど、自分では納得いかない。

 結局私の分析は一人の読者の、カッコつけた「感想文」に過ぎなかったんだよねー。しかも、私は決して代表的な読者ではない。『ポーの一族』の元のターゲットは、十代の日本人女性だったはず。22歳で初めてその作品を読んだ私は、19歳で日本語を学び始めたアメリカ国籍白人男性(のフリをするトランスジェンダー 女性)だった。はい、ターゲットからずれてましたね。

 余談と言うか今更のちょっと惨めな自慢話だけど、当時「少女マンガの研究をしてます」と自己紹介すると、相手は思わず「ぷっ」と吹き出して、「ごめん、でもいかにも少女マンガに出て来そうな人だから、つい💦」と笑われたりしてた。そう、今では想像しにくいかと思うけど、当時はフサフサの金髪ロン毛で、足も長くて、ぶっちゃけモテてたよ。いや、ほんとに。信じて。ほら、証拠写真がある。※無修正!

えーと、なんの話だったっけ?あ、そうそう、少女マンガに関して私が本当に知りたかったのは、そもそものターゲットである読者(つまり、日本人女性)にとって、少女マンガというジャンル(ジャンルと言っていいか分からないけど)は、どういう意味を持ってるのか?彼女たちの生活において、人生において、少女マンガはどういう位置を占めるのか?ということだった。

 そこで私に必要だったのは、文化人類学の方法論。イリノイで修士をとったあと、今度はコロンビア大学の人類学学部文化人類学科のドクターコースに進んだ。在学中に国際交流基金から助成金をもらって、一年間神戸の二つの高校で「参与観察」をさせてもらった。んー懐かしい。1994年から95年にかけてでした。このブログを読んでくれてるあなたは何歳だった?もし、その時、神戸に在住で、漫研に所属してたら、私と会ってたかもね!

 参与観察っていうのは、The文化人類学的方法論なんだけど、説明すると長くなるから割愛。具体的には、漫研に参加したり、数十人の生徒を継続的にインタビューしたり、1000人以上にアンケートしたりと、徹底的に「マンガの読者としての日本人女性」を調査しましたね〜。このブログでいずれその調査を詳しく紹介しようっと。

 それで、読者を調査してるうちに、三宮センター街のマンガ専門店「まんがくらぶ」の店員さんの話を聞くようになって、その後さらに店長から話を聞いたりしたなぁ。

 私が神戸で調査をしていたのは、1994年の夏から1995年の夏まで。意味、分かりますか?そう。阪神大震災と見事にかぶった。国鉄(懐かしかろう!)芦屋駅のすぐ横に家族(当時の💦)と一緒に住んでたマンションが「半壊」になった。幸い身内はみんな無事でした。でも私が調査していた高校の生徒、一人亡くなったんですよ。いつか、それこそ体験をここで詳しく書いてみようかな。長年、思い出すのが辛くて、人に震災の話まったく出来なかったけど。

 大変お世話になった「まんがくらぶ」も、震災で潰れたんだよね。三宮に行けるようになってから見に行って、すでに撤去された店の、空色と淡いピンクの床のタイルを眺めて、泣いてしまった。(当時の神戸では、そんな場面は珍しくないので、道を行く人々は私の気持ちを察してそっとしてくれた)でも幸い、店長も店員さん達もみんな無事だった!

 その後、大阪のマンガ専門店「わんだ〜らんど」の伝説的店長・南端(みなみはた)ご夫妻を紹介していただいたり、一般読者中心だった私の研究が段々と業界の方へと広がっていって、やがては凄腕編集者山本順也さん(『別冊少女コミック』『プチフラワー』)、そして私にとっての原点である、マンガ家萩尾望都先生とのご縁を頂いたのでした!!!

<つづく>

©️2018 Rachel Matt Thorn

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